第3章

"蒔かぬ種は生えぬ"
~行動することで得るもの~

「おーい、カトケンくん」
夏の暑さが落ち着いたと思った途端、急に寒さが増してきた9月のある日。本社のゴミ捨て場で再生紙と再生不可紙を分別していた僕は、携帯電話でなにやら話しながら歩いてきた係長に声をかけられた。
「この前言ってた特許取ったアレ、なんだっけ?」
「すみませんアレじゃ判らないんですけど」
「ファイヤーソニック工法じゃなくって」
「…まさかヒートソイル工法のことではないですよね?」
「おお、それそれ」
指をパチンと鳴らしながら、係長は電話の相手に伝える。
「ヒートソニック工法だって」
「いやヒートソイル工法ですってば…」

電話を切った係長は僕の作業を覗き込む。「何してんの?」
「ごみの分別してるんですよ!誰かさんがゴミ箱に適当にごみ捨てるから…」
「そりゃ困った奴がいるもんだなあ…ウチの会社は環境意識が高いことで有名なのに」
…困った奴とは、アンタのことだ。
「みんながちゃんと分別してくれりゃあ後々楽なのになあ…」
「おいおい、それ一般可燃じゃなくてプラゴミだぜ?」僕からゴミ箱を取り上げた係長は、意外にも手際よくゴミを分別していく。
「こっちはビニールで、これは産廃。宅配便の伝票は引っぺがして再生不可紙で、封筒は糊がついてるから一般可燃物」
「…係長、すげえ」
「ダテに家でゴミの分別を担当してるわけじゃないぜ」
ええっとそれって…突っ込んだほうが良いんでしょうか…?
確かに文句を言いながらゴミの分別をしてはいるが、家では細かくゴミを分別することは当たり前になってきた。特に名古屋のあたりは愛知万博から始まって、つい最近のCOP10などもあったことだし、環境に関する意識は全国でも高いのではないだろうか。

「でも、いくら環境意識が高いとかって言っても、なんとなく『環境破壊』のイメージ無くないですか?建設会社って」
「だあぁぁぁ…どうしてもそう言われちゃうんだよなぁ…」
係長は口をへの字に曲げながらがっくり肩を落とす。
「環境に良さそうに見えるからって、何でもかんでも緑色に塗って誤魔化しが利く仕事でもないもんな、俺らの仕事は」
「あ、でも工事車両のアイドリングストップ啓発とか、この前研修でやってましたよね」

「そうそう。それにさっきのヒートソニック工法だって、なかなか頓知が利いてるんだって知ってるか?」
「いやだからヒートソイル工法ですってば」
「・・・。そもそもあの工法って、寒冷地向けの工法として開発されたんだけどさ」

僕のツッコミを華麗にスルーし、係長はゴミを分別しながら、話し始めた。
加藤建設は北海道札幌市に、北海道営業所を開設した。

それまでも春から秋にかけ、北海道での案件は度々受注してきた。しかしここ近年、冬季の受注が増加傾向にあった。
それを裏付けるかのように、国土交通省が例年発表する建設総合統計を調べてみると、1987年当時の北海道における公共の土木建設工事費の場合、第4四半期(1月~3月)の出来高は年間工事費の約5.5%程度であったが、2007年には約15.4%まで跳ね上がっている。

軟弱地盤の改良工事を得意とする加藤建設は、比較的小規模の面積の地盤改良に特化している。
とはいっても、ここでいう『小規模』とは建設業界の尺度で言われる『小規模』であり、実際は深さ13mもの軟弱地盤を改良する技術を持つ。
盛土や擁壁など様々な構造物基礎の地盤改良工事を得意としているのである。この工事は安全な街づくりの『根底』を支える、文字通り『縁の下の力持ち』。
ニーズがあるのは、当然と言えば当然だったが、北海道での工事には、様々なハードルがあった。
「で、だ。北海道といえばまず何を思いつく?」
まさかここで『海の幸』とも言えないので、僕はオーソドックスな回答をしてみた。
「ええっと…寒さ??」
「そうそう。寒冷地って、実は軟弱地盤なことが多いんだよ」

北海道には『泥炭地盤』と呼ばれる非常に軟弱な地盤が広く存在しているのだという。泥炭は、枯死した植物が腐りきらないまま徐々に堆積してできたもので、北海道のような寒冷地によく見受けられる、極端な軟弱地盤なのだ。
北海道の地盤改良工事では、この泥炭地盤用として『泥炭用固化材』がよく使用される。しかし、泥炭用固化材は通常の地盤改良工事で使用される固化材と比較すると高価で、場合によっては通常の約2倍のコストがかかる。
・・・そして勿論、北海道の厳しい寒さは、冬季工事を更に困難なものにしていた。軟弱地盤を改良する、つまり軟弱ではないしっかりとした地盤にするには、簡単に言ってしまえば軟弱な地盤に強度を保つ素材を混ぜ、地盤を固めてしまえば良い。更に種明かしをしてしまえば、軟弱地盤にセメントをはじめとする『改良材』を混ぜ込み、軟弱地盤の強度を上げるのだ。
例えば、加藤建設が持つ独自技術『パワーブレンダー工法』においては、軟弱地盤中に、セメントと水を混ぜた流動体、通称『スラリー』を供給し、特殊機械『パワーブレンダー』で強制的に原位置土と撹拌・混合することにより、土と改良材を化学的に反応させ、強度を高め土質性状を安定化させるのである。

そこで問題になってくるのが、北海道の気温である。冬のように気温が低い場合、改良工事完了後に施工した表面が凍結し、強度が確保できないのだ。
「なるほど、水分が凍っちゃうとセメントも何もないんですね」
「そう。だからセメントが固まるまで温度を確保できればいいんだよ」
「そういう場合はどうするんですか?」
「そうさなあ…周りを養生して、凍結しないようヒーター炊いたりするかな」
「結構大変なんですねえ…」
「そこで、ここからが我らが加藤建設サンの、頓知が利いたところですよ」係長はこめかみを人差し指で指した。
「セメント自体の温度を上げてみたらどうよ?って考えたわけさ」

2008年夏。工法推進部は、セメントやセメント系固化材の特徴である『養生温度が高いほど強度発現を促進する』所に着目し、新工法の開発に着手した。理屈としては寒冷地でセメントを作る際に使用する水、砂、砂利等の温度を高くして練るのと同じように、改良体であるスラリーの温度を高くするのだ。

改良体の昇温方法をどうするか。工法推進部は設計担当者と、パワーブレンダー工法の中の、スラリー噴射方式をベースに意見を出し合った。様々なアイデアが出されたが、最終的には一般的に広く熱源として使用される『蒸気』を使用し、改良体を昇温させる計画を立てた。セメントスラリーに蒸気を合流させ昇温、高温なセメントスラリーとなったところで原地盤とスラリーを撹拌・混合させるのだ。

2008年9月。まず、圧送する水に配管内で蒸気を合流し、水の温度が瞬間で上昇するか確認実験を行った。結果はOK。次に蒸気と水、原土を実際にパワーブレンダーにて混合撹拌し、温度が上昇するのか確認した。この時点では、セメントスラリーの量と比較して、温度を上昇させる水と原土の容量が多かったため、温度変化があまり見られなかった。

試行錯誤を繰り返す。
確かに文句を言いながらゴミの分別をしてはいるが、家では細かくゴミを分別することは当たり前になってきた。特に名古屋のあたりは愛知万博から始まって、つい最近のCOP10などもあったことだし、環境に関する意識は全国でも高いのではないだろうか。

「でも、いくら環境意識が高いとかって言っても、なんとなく『環境破壊』のイメージ無くないですか?建設会社って」
「だあぁぁぁ…どうしてもそう言われちゃうんだよなぁ…」
係長は口をへの字に曲げながらがっくり肩を落とす。
「環境に良さそうに見えるからって、何でもかんでも緑色に塗って誤魔化しが利く仕事でもないもんな、俺らの仕事は」
「あ、でも工事車両のアイドリングストップ啓発とか、この前研修でやってましたよね」

「そうそう。それにさっきのヒートソニック工法だって、なかなか頓知が利いてるんだって知ってるか?」
「いやだからヒートソイル工法ですってば」
「・・・。そもそもあの工法って、寒冷地向けの工法として開発されたんだけどさ」

僕のツッコミを華麗にスルーし、係長はゴミを分別しながら、話し始めた。
「そうそう」係長は空き缶を地面に置くと、足でゆっくりと踏み潰してみせる。「一軸圧縮試験ってやつだな。まずはσ3強度、つまり3日目の強度を測ったんだ」
「どうだったんすか」
「新工法と従来工法での安定処理土の強さを計測すると、従来工法と比較して、新工法で改良した安定処理土は、およそ1.4倍程度の強度を持ってたんだ」
「おおっ、すげえ」
「ただ改良体の温度が上昇するだけでなく、その熱のおかげでセメントの水和反応が助長され、改良体の強度発現に大きな効果が得られたんだ。でもこの実験結果、単純に強度が1.4倍になった、って事だけじゃなかったんだ」
「ええっと…つまりそれはどういう??」

 だめだ、『水和反応』のあたりからもうついていけてない…頭の周りに疑問符だらけになっている僕に、係長は苦笑した。

「ちょっとばかり判りづらいか。結果から先に言っちゃうと、本来28日目で確保できる強度が、たった3日間で確保されていたんだ」

σ7強度、σ28強度をそれぞれ測定していくと、やはり従来工法と比較して約1.4倍の強度を維持し続けた。そして、28日目の強度を確認した時点で、従来工法でのσ28の強度が、新工法では3日目で既に達成されていたことが裏付けられたのだ。
「まじっすか!?」
「そう…そしてこの『短期間で強度が出る』ってのは、当然他にもメリットがあるよな」
従来工法と同じ量のセメントで1.4倍の強度を得ることが出来るということは、その分セメントなどの固化材の添加量を減らすことが出来る。従来工法と同じ強度を得ることが出来ればよい現場であれば、セメントなどの固化材の添加量は、概ね1割~3割の低減を図ることができるのだ。

この『削減』が意味するところは何か。

通常、セメントは石灰石や粘土などを焼成して造る。その際に大量の炭酸ガスが発生する。 例えば、普通ポルトランドセメントを1t生産する際、約800kgのCO2が発生してしまう。勿論、セメントを製造する業界もこの数値を看過することは無く、CO2排出の削減を図ることが出来る『高炉セメント』等の開発を積極的に行っている。

建設業にとって、セメントは切っても切れないものである。地盤改良工事や基礎工事をはじめ、建築物の多くはセメントを使用する。地球環境保護の観点から、高炉セメントの使用を積極的に進める動きもある。
そして更に、地盤改良工法にヒートソイル工法を採用することで、地盤改良時のセメントの添加量を削減することが出来る。建築業界としてはより『能動的』に、CO2の削減が実現できることを意味しているのだ。

「セメント1t作るのに800kgもCO2が出るのを削減するために高炉セメントが開発されて、さらにその高炉セメントの使う量が少なくて済むなら…」
「すごいじゃないですか!それって」
「だから言っただろ、頓知が利いてるって」
分別が終わった空のゴミ箱を置くと、係長は手をはたいた。
「もともとは寒冷地での地盤改良の効率化を目指して作り上げた工法なんだけど、動機はどうあれ環境に良い可能性があるなら、それは活用すべきなんだよな」

係長のその言葉に、僕は既視感を覚えた。良いものだったら遠慮なく活用する、良いのならばそれを実行する、みたいな言葉。加藤建設の根底にある、流儀というかルールと言うか。
…うーんと、何だったっけ?

「さて、ゴミも捨て終わったことだし、お礼にジュースでも買ってきてくれよ」
「え、俺のおごりですか!?」
「当たり前じゃん、手伝ったんだから」係長はシッシと追い払うようなしぐさをする 「俺、あまぁ~い缶コーヒーな」

…ひどい上司だ。
帰りの電車の中で、僕は係長から貰ったヒートソイル工法の資料を読んでいた。

ヒートソイル工法は2009年2月と2010年2月の2回、北海道札幌市と釧路市において、厳冬期地盤改良実験を実施し、寒冷地での有効性を実証した。そして2010年8月より、北海道稚内市において第3回目の共同実験が開始された。また、短時間で強度を発現できる特徴を活かし、千葉県成田市や青森県五所川原市での近接施工現場へ投入し、施工実績も作っているという。

寒冷地での地盤改良の効率化を目指し、開発がスタートしたヒートソイル工法。様々な試行錯誤の上に出来たこの新技術は、『固化材の使用量低減によるCO2削減』という、新たな可能性を秘めている。

面白い技術だ。

そんなことを考えながら電車を降りた僕は、駅の階段の前で立ち往生している親子連れを見かけた。

若い母親がそれまで抱っこしていた3歳位の娘を降ろし、それまでベビーカーに乗せていた赤ん坊を抱っこし、ベビーカーを肩に担いで階段を登ろうとしていた。それまで抱っこされていた娘は眠いのかぐずってしまい、母親にしきりに手をつないでとせがむ。母親は娘に両手がふさがっている自分の姿を見せ、少しは我慢しなさいと嗜めるものの、娘は地団駄踏んで大泣きしてしまう。
「あの…ベビーカー持ちますよ」
僕が声をかけると、若い母親は目を丸くして僕を見て、僕が言ったことをワンテンポ置いてから理解したようだった。
「あっ…すみません…」
母親は申し訳なさそうにお辞儀をする。大泣きしていた娘はぽかんとした顔をして、不審そうに見知らぬ僕を見上げる。
「きっと眠くなっちゃったんだよね。ママが大好きなんだよね」
僕が娘にそういってやると、娘は母親の手をぎゅっと握り、コクリと頷いた。

いくら昨今の駅でバリアフリーが進んでいるとはいえ、実際いちいちエレベーターまで遠回りして改札まで行くのは結構面倒なものである。そして意外と、エレベーターは混んでいたりもする。

階段を登りきり、改札前まできたところで僕は別れを告げた。母親に何度もお礼を言われ、少し気恥ずかしかった。

さすがに娘をおんぶしたり、この親子を家まで送ることは出来なくても、自分が出来る範囲の人助けくらいはしたほうが良いだろう。どうせ階段を登るんだから、たかだか数kgのベビーカーを担いだところで、どうと言うこともない。それで困ってる人が少しでも助かるのであれば。
アイドリングストップ、効率的な工事車両運用の動線の検討、効率化に基づいた工期短縮による工事車両の稼働時間低減。そして新しく手にした、使用するセメント削減に伴う、セメント生産時のCO2の排出量削減を実現できる、新技術。

ただ漠然と工事をするのではなく、より環境に負荷をかけないようにするにはどうすればよいのか?建設業は環境を破壊すると揶揄される中、より『能動的』に環境負荷を下げるにはどうすればよいのか?

僕たちは、様々な取り組みをするべきなんだ。
たとえどんな小さなことでも、やらないより、やったほうが良いんだ。

実現場への投入と厳冬期の実験により、今後もヒートソイル工法はノウハウが蓄積されていくのだろう。そして、実験と実戦で得たデータを元に、絶え間なく試行錯誤を繰り返し、システムの改良が図られるのだ。

北の大地の軟弱地盤攻略を目指すとともに、この技術でCO2削減にも挑むことができる。

そしてこの技術は、更に鍛え上げられていくんだ。

そんなことを考えながら、僕は帰路についた・・・。

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